回折格子とは?原理や種類、選び方を解説
本記事では、分析機器やレーザー関連機器の研究開発・設計部門のご担当者様に向けて、回折格子の基本原理から、回折効率や分解能といった重要性能、製造方法による種類の違い、主な用途、そして最適な製品を選定するためのポイントについて詳しく解説します。
回折格子とは?
回折格子は、光が持つ波の性質を利用して、複数の波長が混ざった光(例えば白色光)を、虹のようにそれぞれの色の光(波長)に分解(分光)する光学部品です。プリズムも光を分ける素子ですが、プリズムが物質の屈折率の波長依存性を利用するのに対し、回折格子は「回折」と「干渉」という物理現象を利用する点で原理が異なります。
回折格子の構造と回折・干渉の原理
回折格子の表面には、1mmあたり数百本から数千本という非常に微細で平行な溝が、等間隔に多数刻まれています。この溝のない部分がスリット(光が通り抜ける隙間)の役割を果たします。
光がこのスリットを通過する際、波の性質によって光は直進するだけでなく、スリットの背後に回り込むように広がります。この現象が「回折」です。回折格子にはスリットが多数あるため、各スリットで回折した光は、互いに影響を及ぼし合います。これが「干渉」です。
特定の方向では、それぞれのスリットから来た光の波の山と山(あるいは谷と谷)が重なり合って強め合い、明るい光が観測されます。一方で、それ以外の方向では波の山と谷が打ち消し合い、光は観測されません。光が強め合う角度は波長によって異なるため、この原理を利用して光を波長ごとに分離することができます。
反射型と透過型
回折格子は、光の進行方向によって大きく2種類に分類されます。
一つは「透過型回折格子」です。これは、透明なガラス基板などの表面に溝が刻まれており、入射した光が基板を透過する際に回折・干渉が起こり、光が分光されます。構造が分かりやすいため、教育用の実験などでよく用いられます。
もう一つは「反射型回折格子」です。これは、ガラス基板などの表面にアルミニウムなどの反射膜を蒸着し、その上に溝を刻んだものです。入射した光が表面で反射する際に分光されます。分光器などの分析機器や産業用機器では、こちらの反射型が一般的に広く利用されています。
回折格子を理解する基本式(格子方程式)
回折格子によって光がどの方向に進むかは、以下の「格子方程式」と呼ばれるシンプルな式で表されます。
d(sinα+sinβ)=mλ
各記号の意味は以下の通りです。
- d:格子定数(隣り合う溝の間隔)
- α:入射角(入射光と回折格子の法線がなす角度)
- β:回折角(回折光と回折格子の法線がなす角度)
- λ:光の波長
- m:回折次数(0, ±1, ±2,...の整数)
この式は、回折格子の物理的な特性(格子定数 d)と、光学システム内での配置(角度 α, β)が、どの波長(λ)の光をどの方向に取り出すかを決定づける、設計の根幹となる関係式です。
「回折次数 m」は、干渉によって光が強め合う条件が複数存在することを示します。m=0 の光は「0次光」と呼ばれ、波長に関わらず入射光がそのまま反射・透過した光であり、分光されません。分光に利用されるのは、m=±1,±2 などの「1次光」「2次光」です。次数が大きいほど、光は大きく曲げられます(分散が大きくなります)。
回折格子の性能指標
回折格子の性能は、いくつかの指標によって評価されます。これらの指標は、最終製品である分析機器やレーザーシステムの性能に直接影響を与えるため、各指標の意味を正しく理解することが、最適な部品選定の鍵となります。
回折効率
回折効率とは、回折格子に入射した光のエネルギーのうち、特定の次数の回折光としてどれだけのエネルギーが取り出せるかを示す割合です。この値が高いほど、光を効率的に利用できるため、特に微弱な光を扱う測定器などでは極めて重要な指標となります。
回折効率には「絶対回折効率」と「相対回折効率」の2つの定義があります。絶対回折効率は入射光強度に対する回折光強度の比、相対回折効率は絶対回折効率を基板表面のコーティング材の反射率で割った値です。
単純な溝形状の回折格子では、エネルギーが0次光や不要な次数の光に分散してしまい、目的の次数の回折効率は低くなります。そこで、特定の波長・次数の光にエネルギーを集中させるため、溝の断面を鋸歯状(のこぎりば)にした「ブレーズド回折格子」が広く用いられます。この溝の傾斜角を「ブレーズ角」と呼び、回折効率が最大になる波長を「ブレーズ波長」と呼びます。
また、回折格子の溝は一方向に並んでいるため、入射光の偏光(光の電場の振動方向)によって回折効率が異なる「偏光依存性」を持つことにも注意が必要です。
分解能
分解能とは、近接した2つの波長の光を、いかに細かく分離して識別できるかを示す能力のことです。例えば、500.0nmと500.1nmの光を2本の線として区別できるかどうか、といった能力を表します。
分解能の定義には「レイリーの基準」が一般的に用いられます。これは、ある波長のスペクトルピーク(最も明るい点)の位置に、もう一方の波長のスペクトルの最初の谷(最も暗い点)が来たとき、2つの波長は分離されていると見なす、という基準です。
回折格子単体の理論的な分解能 R は、回折次数 m と、光が照射されている部分の溝の総数 N の積、すなわち R=mN で与えられます。つまり、光が当たる範囲が広く、溝の総数が多いほど、また、より高次の回折光を利用するほど、理論上の分解能は高くなります。ただし、実際の装置ではスリット幅やレンズの収差など、他の要因も影響するため、システム全体の分解能は回折格子の理論値よりも低くなるのが一般的です。
迷光
迷光とは、分光器内部で意図しない散乱や反射によって生じ、検出器に到達してしまう不要な光のことです。迷光は測定におけるノイズとなり、特に弱い光信号を測定する際に、信号対雑音比(S/N比)を悪化させる大きな原因となります。
迷光の主な発生源としては、回折格子表面の微細な傷や粗さによる光の散乱、装置内部の他の部品からの反射、そして本来利用する次数以外の不要な回折光(高次光など)が挙げられます。特に、後述する機械刻線によって作られた回折格子は、表面の不完全さから迷光が多くなる傾向があります。
ゴースト
ゴーストとは、スペクトル上に本来存在しないはずの偽のスペクトル線(偽線)が現れる現象です。これは、回折格子の溝を刻む際の、微小な周期的誤差が原因で発生します。
この周期的な溝間隔の誤差が、主となる回折格子の周期とは別の、副次的な回折格子として作用してしまい、強いスペクトル線の「幽霊(ゴースト)」を本来とは異なる位置に作り出してしまうのです。ゴーストには、親となるスペクトル線の近くに現れる「ローランドゴースト」や、より離れた位置に現れる「ライマンゴースト」などがあります。ゴーストは、特に微量成分の定性分析などにおいて、誤った分析結果を導く原因となるため、極力排除する必要があります。
レーザー損傷閾値(LIDT)
レーザー損傷閾値(Laser-Induced Damage Threshold, LIDT)とは、回折格子が損傷を受けることなく耐えられるレーザーの最大パワー密度またはエネルギー密度のことです。
高出力レーザーを扱うアプリケーション、特に超短パルスレーザーのパルス幅を制御(パルス圧縮・伸長)するような用途では、回折格子に極めて高いエネルギーが集中します。そのため、LIDTは回折格子が破壊されずに安定して動作するための最も重要な性能指標の一つとなります。LIDTの値は、レーザーの種類(連続発振(CW)かパルスか)、パルス幅、波長、そして回折格子表面の清浄度など、様々な要因に影響されます。
回折格子の種類と製造方法による特徴
回折格子の性能は、その製造方法や形状によって大きく異なります。特に製造方法の違いは、前述した性能指標に根本的な影響を与え、両者の間には重要なトレードオフの関係性が生まれます。
製造方法の違い
回折格子の主な製造方法には、「機械刻線」と「ホログラフィック」の2つがあります。
機械刻線回折格子
機械刻線回折格子(Ruled Grating)は、非常に精密に制御されたルーリングエンジンと呼ばれる装置を使い、ダイヤモンドの刃物でガラス基板上の金属膜に物理的に溝を1本ずつ刻んで作製する伝統的な方法です。この方法では、溝の断面形状を効率の良い鋸歯状(ブレーズ形状)に精密に加工できるため、特定の波長で非常に高い回折効率を得意とします。しかし、機械的な加工であるため、刃物の微小なブレなどから溝間隔に周期的な誤差が生じやすく、これがゴーストの発生原因となります。また、刻線によって生じる表面の微細な粗さは、迷光の増加にも繋がります。
ホログラフィック回折格子
ホログラフィック回折格子(Holographic Grating)は、レーザー光を2つに分け、再び交差させたときに生じる光の干渉縞(縞模様)を、フォトレジストと呼ばれる感光材が塗布された基板に記録して作製する方法です。光の干渉という物理現象を利用するため、溝間隔の周期的な誤差が原理的に発生せず、ゴーストが全く現れません。また、表面が非常に滑らかに仕上がるため、迷光も機械刻線方式に比べて格段に少なくなります。
一方で、基本的なホログラフィック法で形成される溝は正弦波状のため、機械刻線によるブレーズド回折格子に比べて回折効率が低い傾向にありました。しかし近年では、ホログラフィック法で作製した溝をイオンビームで加工するなどの技術により、低迷光・ゴーストフリーという特徴を保ちながら高い回折効率を実現した「ブレーズドホログラフィック回折格子」も開発されています。
溝形状による特性の違い
溝の断面形状も回折格子の性能を決定づける重要な要素です。
ブレーズド(鋸歯状溝)
断面が非対称な鋸歯状の形状です。特定の方向に回折される光のエネルギーを集中させ、特定の波長(ブレーズ波長)で非常に高い回折効率を実現します。多くの分光器で用いられる最も一般的な形状です。
正弦波状溝
断面が滑らかな正弦波(サインカーブ)の形状です。標準的なホログラフィック回折格子で形成される形状で、特定のピークは低いものの、広い波長範囲でなだらかな回折効率を持つ特徴があります。
ラミナー(矩形状溝)
断面が長方形の形状です。特定の設計にすることで、偶数次(2次、4次など)の回折光を抑制する効果があります。この特性を利用して、軟X線領域など特殊な用途で用いられます。
形状による分類
基板自体の形状によっても分類されます。
平面型回折格子
平らな基板上に溝が形成された、最も一般的なタイプです。分光システムを構成する際には、光を集光・平行化するためのレンズやミラーといった他の光学素子と組み合わせて使用します。
凹面型回折格子
基板自体が凹面鏡のように湾曲しており、その表面に溝が形成されています。このタイプは、光を分光する機能と、光を集光する機能の両方を一枚で兼ね備えています。これにより、システム内の光学部品の点数を減らすことができ、装置の小型化や簡素化に貢献します。
回折格子の主な用途例
分光分析機器(分光光度計、ラマン分光器など)
物質がどの波長の光を吸収・放出するかを調べる分光分析は、回折格子が最も広く利用される分野です。
紫外可視分光光度計や近赤外分光光度計では、光源からの光を回折格子で分光し、単一波長の光を試料に照射して、その透過率や吸光度を測定します。
また、ラマン分光分析では、物質にレーザー光を照射した際に発生する、非常に微弱なラマン散乱光を分析します。ラマン散乱光は、強力なレーザー光(レイリー散乱光)のすぐ近くに現れるため、これを分離・検出するには、迷光やゴーストが極めて少ない高性能な回折格子が不可欠です。このため、ラマン分光器にはホログラフィック回折格子が多用されます。
その他、血液分析装置や、果物の糖度などを非破壊で測定する食品分析装置などにも応用されています。
光通信(光スペクトラムアナライザ、波長選択スイッチなど)
現代の情報社会を支える光ファイバー通信においても、回折格子は中心的な役割を担っています。
大容量のデータを高速で伝送する波長分割多重(WDM)技術では、一本の光ファイバーに波長の異なる複数の光信号を乗せて通信します。この複数の信号を一つにまとめる(合波)、あるいは受信側で再び波長ごとに分離する(分波)ために、回折格子が用いられます。
光通信システムの信号品質を監視する光スペクトラムアナライザや、特定の波長の光信号だけを特定のポートに振り分ける波長選択スイッチ(WSS)など、ネットワークの維持管理や制御に欠かせない機器のキーデバイスとなっています。これらの用途では、隣接する波長チャネルを正確に分離するための高い分解能と、信号損失を抑えるための高い回折効率が求められます。
関連記事「光スペクトラムアナライザとは?仕組みや用途、選び方を解説」
レーザー関連機器(波長可変レーザー、パルス圧縮など)
レーザーの特性を制御するためにも回折格子が利用されます。特定の波長の光だけを発振させたい波長可変レーザーでは、レーザー共振器内に回折格子を配置し、特定の波長の光だけがフィードバックされるようにすることで、発振波長を選択します。
特に重要な応用例が、超短パルスレーザーの出力を飛躍的に高めるチャープパルス増幅(CPA)技術です。この技術では、まず回折格子ペアを用いて、エネルギーの低い超短パルスレーザーを時間的に引き伸ばします(パルス伸長)。安全にエネルギーを増幅した後、別の回折格子ペアを用いて、引き伸ばしたパルスを元の超短時間に圧縮します(パルス圧縮)。これにより、極めて高いピークパワーを持つレーザー光を生成できます。この用途では、回折格子に膨大なエネルギーが集中するため、非常に高いレーザー損傷閾値(LIDT)が必須となります。
最適な回折格子の選定ポイント
自社の製品や研究開発に最適な回折格子を選定するためには、これまで解説してきた各種の特性を総合的に評価し、要求仕様と照らし合わせる必要があります。ここでは、選定プロセスにおける具体的なポイントを解説します。
使用波長範囲と溝本数の決定
最初に、システムで使用する波長の範囲を明確にします。その上で、その波長範囲に対して適切な分散(波長ごとの分離の度合い)が得られる溝本数(1mmあたりの溝の数)を選定します。
溝本数が多いほど分散は大きくなり、高い波長分解能を得やすくなりますが、一つの回折格子でカバーできる波長範囲は狭くなります。逆に溝本数が少ないと、より広い波長範囲をカバーできますが、分散は小さくなります。また、不要な高次光が測定範囲に重なってしまう「次数重複」の問題も考慮し、使用波長範囲に適した溝本数を選ぶことが重要です。
ブレーズ波長と回折効率の確認
システムの光量(スループット)を最大化するためには、回折効率の高い製品を選ぶことが重要です。特に、測定対象の信号が最も重要となる波長域で、回折効率がピークとなるようなブレーズ波長を持つ回折格子を選定します。
メーカーが提供する回折効率の特性カーブを確認し、使用波長範囲全体で十分な効率が得られるかを確認します。その際、システムの偏光状態(S偏光かP偏光か)に応じた効率カーブを参照することが不可欠です。また、入射光と回折光が同じ角度で進行する「リトロー配置」で効率が最大になるように設計されていることが多いため、光学系の配置も考慮に入れる必要があります。
用途に応じた性能指標の優先順位付け
回折格子の選定では、用途に応じて性能の優先順位付けが必要です。
- 光量が重要(蛍光測定など): 回折効率を優先
- 高S/N比が重要(ラマン分光など): 迷光・ゴーストの少なさを優先
- 高出力レーザー: レーザー損傷閾値(LIDT)を優先
従来、特に「高効率」と「低迷光」はトレードオフの関係にあります。しかし技術革新により、ブレーズドホログラフィック回折格子など両者を高いレベルで両立する製品も登場しています。製品選定の際には、こうした技術の進歩も念頭に置くことが重要です。
考慮すべきトレードオフ(分解能とスループットなど)
分光システム全体で考慮すべき重要なトレードオフに、「分解能」と「スループット(光量)」の関係があります。一般的に、高い分解能を得るためには、分光器の入射スリットの幅を狭くする必要があります。しかし、スリットを狭くすると、システムに取り込める光の量が減少し、スループットが低下してしまいます。
このトレードオフはシステム全体の設計に関わる問題ですが、回折格子の選択も密接に関係します。例えば、高い分解能を得るために溝本数の多い回折格子を選択した場合、その分散能力を最大限に活かすためには狭いスリットが必要となり、結果としてスループットが犠牲になる可能性があります。システムの要求仕様に合わせて、分解能とスループットのバランスを考慮した上で、回折格子を選定することが求められます。
高いレプリカ技術による安定供給
回折格子には、最初に作製される一点ものの「マスター回折格子」と、そのマスターから複製される「レプリカ回折格子」があります。分析機器や産業用機器に組み込まれるのは、主にレプリカ回折格子です。
優れたマスターを製造する技術はもちろん重要ですが、そのマスターの性能を忠実に再現し、安定した品質のレプリカを低コストで量産する技術もまた、メーカーの技術力を示す重要な指標です。特に、製品の量産を計画している場合、サプライヤーが持つレプリカ製造技術の高さや供給安定性は、部品選定における極めて重要なポイントとなります。
回折格子 関連製品・サービスのご紹介
島津製作所の回折格子

分光分析においては、特定波長の光を正確かつ効率よく取り出すことが重要です。島津製作所の回折格子は、ホログラフィック技術とエッチング工程の最適化により、迷光を抑えつつ高い効率で特定波長の光を取り出すことができます。また、豊富なラインアップと高いレプリカ製造技術により、高品質な回折格子をお客様へお届けします。
島津製作所では、回折格子の提供の他、光学配置設計、組み込み分光器のご提案も行っております。「分光」に関するお悩みは、島津製作所にお問い合わせください。
まとめ
- 回折格子は、基板表面に刻まれた微細な溝による光の回折と干渉を利用して、光を波長ごとに分離する光学素子です。
- 性能は、回折効率、分解能、迷光、ゴースト、レーザー損傷閾値といった指標で評価されます。これらの指標は相互に関連しており、用途に応じてどの性能を優先するかが重要になります。
- 製造方法には機械刻線とホログラフィックがあり、一般に刻線式は高い回折効率、ホログラフィック式は低迷光・ゴーストフリーという特徴があります。
- 回折格子を選定する際は、まず使用波長範囲に合った溝本数を決定し、次にシステムの光量を最大化するために最も重要な波長域で効率がピークとなるブレーズ波長を持つ製品を選ぶことが基本となります。
回折格子の
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